如意山 吉祥寺について

宗派 | 曹洞宗(禅宗) |
本山 | 福井県 大本山永平寺 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
開山 | 永平寺37世 石牛天梁禅師 |
開堂 | 宝永2年(1705年) |
由来

草創当時(応永年間末~1425年)は、延暦寺末として創建されましたが、天正年間(~1591年)に落雷により焼失し、殆ど廃絶となってしまいました。
当村太郎丸に生縁を受けた寂應和尚(享保9年1724年没)が一大発願を起こし、檀信徒と協議の上、再興の旨を越前永平寺に申し出ると、時の石牛天梁禅師(正徳4年1714年没)はこれを快諾され、代理補佐役として弟子の耕牛和尚を差し向けられました。
寂應・耕牛和尚の伝道説法による努力の結果、万治年度(~1660)に現在の地より北の山(旧山王庵跡)に新たに一宇を建立することが出来ました。発願より実に20余年の歳月が費やされていました。
石牛天梁禅師は開堂式に用いた麻地二十五条の袈裟を残され、宝永2年(1705年)には、後日の証として伽藍脈一本を当山室内に留め置かれました。また、後日永平寺を退引され神奈川東陽寺より金子五両を当山に送られました。これは現存する禅師書簡と袈裟により伝わっています。